人財紹介・転職支援のバンステーション、今回の記事内容は「なりたい姿よりもなりたくない姿を想像するメリット」についてです。
子供のころからなりたい自分を想像してきたかと思います。ケーキ屋さん、バスの運転手、サッカー選手などなど子供の夢は大きく楽しいものばかりです。しかし大人になるにつれ、どんどんとなりたい自分が薄れてきてしまい、実際に自分は何になりたかったのかを忘れてしまうようなケースも多々あります。とはいってもなりたくない姿というのは明確にあるわけで、こうなりたくはないなという姿があればその姿になりたくないので頑張れるという理屈です。
受験であれば不合格は嫌だ、浪人は嫌だ、などもありますし、親の姿を反面教師にして社会の歯車になるのは嫌だ、もっと何かを成し遂げたいなどを思うのは若者の特権ですし、社会人になった途端に数年や数十年上の先輩や上司を見ていてかっこよくない、あんな風になるのは嫌だと言い始めるのもこれも特権かもしれません。まあ得てしてそのように思うのはうよくあるのですが、そこから自分を打破するために少しでも勉強するとか自分を磨くことをほぼしないのもよくある話ですので、それが若者の特権というのも正しいと思います。
ところが「なりたくない姿」を明確に認識しますと人間は無限に動きますし、成りたい自分になるための努力を重ねている人などは勝手に頑張りますので、成りたい夢なくても「今のままだとあかん」危機感で十分行動エネルギーになると思います。まあ人間いきなり確変しないので日々の積み重ねしかないですし、スキルは急には向上しません。
毎日毎日進捗管理を行ったり、1週間ごとに予定と進捗を見直ししたり、1つ1つの会議や作業や依頼で意識をもって改善を行う意思で振り返ったり、最高のパフォーマンスを出そうなと行わない限りなかなか進化や成長は進まないものです。とある求職者さんと話していた時に、バイトでデリバリーをしていたそうですが上新庄や淡路周辺の抜け道や信号にかからない道路を先輩から聞いたり、実際に使って編み出したり、バイトなのに日々タイムトライアルしたりして改善していたそうで、この姿勢だなと痛感しました。
この場合には信号や踏切にかかって「遅くなってしまう自分」がなりたくない自分なわけです、仕事でも全く一緒で、なりたくない自分を明確に想定できると日々改善が可能になります。
人生はマラソンではないんです。
なりたい自分でなく、なりたくない自分からも人生が始まることがあります。
いつ見てもいいCMです、ぜひご覧ください。